キトウシ森林公園家族旅行村 ~東川町~


探訪日:2019.07
サイト:フリーサイト/テント
温泉:キトウシ高原ホテル

 2019年の夏キャンプ。子供のリクエストを満たしていそうで遠すぎないところを探してここになりました。

 ・ゴーカートで遊べる
 ・パークゴルフができる
 ・遊具がある

 うちの子供はまだ情緒を楽しむ域には到達していないし、文明との隔絶感や不便さを満喫はできない。ネイチャーを楽しむのも厳しい。けれどもキャンプは大好き。色々揃っていて持て余すことがない公園のようなところが良いようです。遊具は撤去されていて遊べず残念。

家族の所感

 家族にヒアリングし良かった点をまとめてみます。
 ・ゴーカートが良かった(コースが長くて乗りごたえがある。8回くらい乗った)
 ・パークゴルフが楽しかった(ボリュームがあって半日以上遊べました)
 ・色々な施設があり遊べる。1泊では足りない。
 ・昆虫がたくさんいる(カブトムシ、クワガタ、カナブン、トンボ、蝶など)
 ・カエルがたくさんいる(アマガエル)
 ・場内が綺麗に維持されている(設備清掃が行き届いている)
 ・管理棟の売店が充実している

 キトウシ山の周囲は田んぼだからかカエルが多くて子供は喜んでとってました。水場にはトンボがたくさん。オニヤンマやルリボシヤンマ、イトトンボなど結構な数です。甲虫類(カブトムシやクワガタ、カナブン)も多くて、クワガタ2匹、カブトムシ2匹、カナブン1匹捕まえました。昆虫採集には良いところかなと思いました。チャートの山ではあるけでども土地が豊かなのかな。ゴーカートは森の中を抜けるコースで涼しくていい感じ、上川町で最長コースとか。パークゴルフは山の斜面に36ホールもあるのでやった感ありました。お父さん的には、キトウシ山がチャートで出来ていることがわかって面白かったなぁといったところでしょうか。

ここは8名用の立派なケビンが計11棟。良いお値段ですが、みんなでお金出し合うとホテルよりかなり安く宿泊できるからか満室。フリーサイトは駐車場横の平坦な芝地と林間サイトがありました。芝生のサイトは駐車場に泊めた車のすぐ後ろにテント張るのが人気のようでファミリーで賑わっていました。一方、林間サイトは結構な傾斜地。点々とあるテント場にテントを張る作り。荷物運びが大変だからかあまり利用された感がなかったです。うちは静かな方が良いかなと思って林間の明るいテント場にテント張ってみました。トイレや売店へ行くのに毎回坂を上り下りする必要がありましたが、落ち着いて過ごせました。フリーサイトは安くて良いです。

ゴーカートは楽しかったです。林間を抜ける涼しくて長いコースで気持ちよかったです。

スキー場の斜面を利用して36ホールあるパークゴルフ場があります。子供と一緒に半日楽しめました。

立派な管理棟。中の売店に色々売ってます。

ゴーカートの隣にある牧場からの眺め、見渡す限りの水田。東川町はお米の町であることを実感。「ゆめぴりか」かな。


キトウシ山の中腹にお城のような展望台(展望閣)があります。東川町はお米でリッチなのかも。

展望閣の3階から外に出られます。一面の水田です。

石的な話 ~チャートでできているキトウシ山~

 キャンプ場内は植生と土壌に覆われていて意識できなかったのですが、山の上の方へ向かうと、この山がチャートという岩石で出来てることが実感できます。写真は展望閣付近と牧場の柵の地面です。展望閣付近にはチャートの露頭がありたくさん転がっていました。牧場のところは客土されていないようで転がっている石はだいたいチャートでした。ここのチャートは赤い色をしています。風化が進んでおり脆く、表面上は赤に見えないものも多いですが、手に取るとチャートであることがわかりました。

そもそもチャートとは何?

 見た目には「赤くて」「白い筋が無数に入っていて」「硬い」石。火打石にもなるくらい硬いです。赤くてツルンとしていて綺麗なのでお庭の飾り石として有名。みなさんのご近所にもお庭にチャートを置かれているお宅があると思います。道端に転がっている程に普通ではないですが、割と良くみかける岩石です。石にあまり興味のない人でもチャートは判別しやすいようで、うちの奥さんと子供もチャートだけは見分けることができます。※写真:うちの庭のチャート(平取町産)
 旧版の地学事典(中学生の時に買ったやつ)を引くと、「もっとも代表的な珪質の化学的堆積物」「緻密な潜晶質の岩石で石英からなる」「純正なチャートは95%以上がSiO2」と書かれています。
 チャートは北海道では日高地方の沢に良質の庭石がたくさん転がっていたので採取され、ひっくるめて「日高石」と呼ばれていたこともありました。私の祖父の世代(明治・大正生まれ)は、庭や玄関に石を飾るのを好んだ方が多かったようで、私は子供の頃、日高には珍しくて綺麗な石がたくさんあるんだと思っていました。「日高石」は石材のブランド名で岩石名ではないです。

 学術的には参考文献1の定義がわかりやすいので参照することとします。外見上の特徴と成分、そして、構成で定義しています。
外見上の特徴:
 色は主に赤色や白色。他にも緑,青,黒色などがある。
 硬く緻密。
 堆積岩に分類。
成分:
 二酸化珪酸(SiO2;シリカ,無水ケイ酸などと呼ばれる)が,岩石の重量比率で90%以上を占めているもの
構成:
 主に細粒(隠微晶質や繊維状となっている)の石英(quartz)、クリストバライト(cristobalite)からなる。方解石(calcite)、または霰石(nepheline)などの結晶や二酸化珪素の非晶質鉱物などを含む。

 チャートは、風化していないものならば、だいたい上記写真のような外見です。非常に硬くてハンマーで叩いても割れず欠けるくらいです。鉄より固く、ナイフや釘で擦っても傷が付かないくらいです。硬度7。水晶と同じ硬さです。また、成分が二酸化ケイ素なので塩酸に溶けません。外見の特徴を頭に入れて釘と塩酸(トイレ洗浄剤のサンポールで良い)持っていけばだいたい見分けが付きます。

チャートはどのようにしてできる?

 チャートのでき方について旧版の地学事典は「1.珪質微化石(放散虫)の堆積」「2.石灰岩がSiO2により交代」「3.海水からのコロイド状のSiO2が化学的に沈殿」とあり、多くは3だと書かれています。しかし、現在は「化学的生成」「堆積生成」の二つがあると考えられているようです。
 キトウシ山のチャートは、キトウシ山周辺の地質が大昔の海洋底堆積物と海洋底地殻の混成(付加体と呼ばれる地質帯の一部)であるため「堆積生成」の方です。堆積生成のチャートは「珪質(SiO2)の殻を持ったプランクトンの遺骸が深海底に降り積もって固まったもの」と言われています。珪質の殻を持ったプランクトンとは「放散虫」と「珪藻」の類です。参考文献チャートを顕微鏡で見ると放散虫の化石がたくさん入っているらしいです(私は実際に薄片作ってみたことがない)。また、参考文献5によると、葉理(ラミナ)構造が見られるため珪質の殻を持ったプランクトンが堆積して生成されたものと説明さらています。
 さらに、チャートは90%以上が石英で出来ているということは、石灰質(炭酸カルシウム:方解石やあられ石)の部分がほとんどないことになります。石灰質の部分が極端に少ないのは、石灰質成分(炭酸カルシウム)が溶けてしまうくらい深い海で堆積したことを示しているようです。この深度は炭酸塩鉱物が残存できる限界深度(CCD:carbonate compensation depth 太平洋赤道付近:4200m~4500m 大西洋:5000m(参考文献6))より深いところです。また、非常に緻密で硬くほとんど石英の塊のような岩石で、石灰岩に含まれるような砂粒はあまり含まれていないようです。砂粒が入っていないのは砂泥が届かないくらい陸地から遠く離れた場所で堆積したことを示しているようです。(参考文献5)

 深海底には500m程の泥が溜まっていると言われています。(参考文献4) 先日、グレートネイチャーというTV番組を見ていたら深海底には2000mもの泥が積もっているという話がありました。どちらが本当かわかりませんが、海洋底には厚く堆積物が積もっているようです。チャートができるような深海底は4200mより深い所なので、堆積物表面で1平方センチメートル当たり420kg以上の圧力がかかっています。降り積もった下の方は堆積物の重さが加わるのでかなりな圧力になっているはずです。そのような高い圧力下では、堆積物が次第に固結していくと思います。堆積物が放散虫や珪藻の殻からなっていた場合には、堆積物の下の方から次第にチャートになっていくのは理解できます。
 参考文献3によると、チャートは1000年で1mmという非常にゆっくりとした速度で作られるようです。地上にあるチャート層から推定する生成速度は1000年で3~30mmのようです。1億年で100m~3000mになります。現在の海洋底で最古のものは1億8000万年前のものと言われています。過去にはプレートの動きが色々変わっているので一概には言えないですが、地球で一番広い太平洋ならば、海嶺で玄武岩が噴出して海洋底プレートが作られてから海洋底プレートが大陸近くの海溝で地下に入っていくまでの時間は1~2億年くらいになりそう。そうすると、海底に厚く降り積もりながら下の方からチャートになっていく時間はあることになります。ただ、陸地から遠く離れた深海底ではチャートの原料となる放散虫や珪藻の堆積と残存が優越すると思いますが、陸地に近づくほど泥の堆積が増加するので、次第にチャート内の泥の割合が多くなっていきます。そうすると、生成される岩石はチャートから珪質泥岩などに移り変わっていくだろうと思います。下記にイメージ図を示します。

なぜ山一つ分ものチャートがここにある?

 チャートは深海底のそれも炭酸カルシウムが溶けてしまうくらいの4200mより深いところで出来る岩石。それが現在陸上の山の上にあるのはどうしてだろう。地殻変動により地上まで持ち上げらたからということになると思いますが、そもそも、なんでまた、東川町のここに深海底で出来たチャートがあるのかという点について、色々資料を読んで理解できた範囲で書いてみます。

チャートはキトウシだけにあるわけではない。南北に連なっている。

 チャートはキトウシ山だけでなく少し北の当麻山にもあります。当麻山にもキャンプ場や遊歩道などあり、場内を歩くとたくさん見られます。さらに北へはしばらくないのですが音威子府や枝幸辺りにあります。南へ行くと、名寄、士別、旭川を超えて、南富良野町、占冠にもあり、さらに南の日高地方では普通に見られ川に無数にあります。川床が真っ赤っかの沢やチャートで出来た山もあります。そして浦河や様似まで続いています。チャートを含む似たような地盤が枝幸から日高南部まで南北に続いており、それらは類似した成因を持っているようです。
 専門書に図があったのでそれをベースにどこら辺りにあるのか図を描いてみます。黄色の部分がチャートがあるところです。(厳密にはこの西隣の[神居古潭帯]と呼ばれる部分、また東隣の「日高帯」と呼ばれる部分にもあるのですが、わかりづらくなるので忘れましょう) 北海道を南北に縦断しています。この帯の部分は白亜紀の時代(だいたい1億年くらい前)に作られた地層で、かつての海溝付近に掃き溜まった砂泥、海洋底(玄武岩やチャート)、海山の岩石(玄武岩や石灰岩)がぐちゃぐちゃに混在した状態になっています。このようなものを地質用語では「付加体」と言っています。この黄色い帯の部分は「イドンナップ帯」という名前がついています。

チャートを含む地層は白亜紀にできた

 イドンナップ帯を呼ばれる南北に細長く続く地盤は、今から1億年前の白亜紀にできたと言われています。当時の北海道がどうなっていたかを概念図で表現してみます。概念図は以下のような感じです。キトウシキャンプ場のあるキトウシ山、当麻キャンプ場のある当麻山に赤で▲マークを付けておきました。あくまで概念図なので厳密に描いてはいません。

 当時、北海道はもとより日本列島そのものがなく、ユーラシア大陸の東端だったようです。後々北海道と東北地方になっていっただろう部分に輪郭を薄く描いています。図のように、海洋プレートがユーラシア大陸の東端に沈み込んでいたようです。現在の太平洋の海洋プレートは年間10cmくらいのスピードで日本列島の下に入っていっています。当時も同じスピードとすると、例えば1000万年で1000km分の海洋プレートが入っていくことになります。1000km分の海洋プレートの上に堆積した砂泥やチャートや海洋島や海山、それらの岩石総量は膨大です。その膨大な岩石が大陸の下に入って行こうとした時、出っ張っている海洋島などは入れず引っかかって粉砕されるでしょうし、入れたとしても少し入った所で大陸の下に引っかかってしまうと思います。そうして、大陸の端に少しずつ溜まっていき、押し付けられて固まっていったものが地質用語で「付加体」と呼ばれるもので、この時代にできた付加体は「イドンナップ帯」という名前が付いています。
 イドンナップ帯は1億年前の白亜紀に大陸の端に押し付けられてできました。チャートが海洋プレートに乗って運ばれ大陸の端にたどり着いたのが白亜紀(白亜紀は中生代)とすると、イドンナップ帯にあるチャートそのものが出来た時代は、白亜紀よりもっともっと昔、大陸から遠く離れた深海底で放散虫や珪藻が長い年月をかけて降り積もって固まった時代です。その時代は白亜紀よりもさらに1億年くらい前で古生代(ペルム紀・石炭紀)です。日本列島は複雑な地史を持っているようです。日本列島の70%は付加体と呼ばれる大陸の端に押し付けられた複雑な地質帯からなっているようです。北海道はイドンナップ帯だけでなく多くが付加体と呼ばれる地質帯に起源を持つ大地なので、北海道の大地のルーツを知りたい場合、付加体のことを知る必要があると思っています。

付加体がどんどん溜まると盛り上がって海の上に顔を出す?

 大陸の端に海洋プレートが入っていくと、海底に堆積した砂泥、海洋島や、海底のチャートなどが大陸の端に引っかかって押し付けられて付加体という特異な地層ができていきます。それがすご~く長い時間(1億年とか)ず~とず~と続くとどうなるか。際限なく大陸にグイグイ押し付けられ大陸の下に引っかかって溜まっていきます。そうすると、 付加体という地質帯はどんどん拡大していき大陸が広がっていくことになると思います。また、大陸の下に入って行ったプレートはだんだん地球の中に沈んでいく、水を出しながらどんどん熱くなっていく、そうすると近くの岩石が溶けだしマグマが出来る。マグマは周囲の岩石より軽いので上に登っていく。地表までくると火山となって噴火する。噴火が海の底だったとしても長い間続くとどんどん盛り上がってそのうち海の上に出て陸地になる。
 付加体がどんどん拡大していくと海溝が次第に海側に後退してように感じます。そうすると、マグマの発生する位置(火山フロント)も同じように後退していくかもしれない。そうすると大陸に沿って火山列が何重にもできることになって大陸が拡大していくような気がするけれども、現在の地球でそんなところはあるのだろうか。日本列島や千島列島、アリューシャン列島など、大陸の端のプレートが大陸の下に入っていく所に沿って点在する小さな島々の下の地盤(地質用語で島弧と呼ばれる)の形成やその後の陸地化のプロセスについては詳しく知らないですが、海洋プレートが大陸の下に長い間入り続けると、いずれにしても、だんだん盛り上がって陸地になっていく感じがします。

キトウシにチャートの山があるのは

 北海道の大地は複雑な大地の動きを経て出来ています。一概には言えないと思いますが、現在のキトウシキャンプ場のところにチャートの山があるのは、大きな流れでは付加体が長い間かけて溜まって徐々に盛り上がった作用の後に、ユーラシア大陸とその東のオホーツク海に大昔にあった大きな島(オホーツク古陸)がぶつかってくっついた時の作用で次第に陸地になっていったからなのかなと思います。キトウシキャンプ場のところがチャートの山になっているのは、たぶん、チャートは硬くて削れ難くて崩れ難いので、チャートの周りの泥岩や砂岩が先に風雨で削れてしまって(専門用語では「削剥」という)、チャートの大きな塊が残ってしまったからなんだろうと思います。
 人類は今から240万年前に発生し長い歴史を持っていますが、私たちが住んでいる日本列島を作っている岩石はその100倍も昔の海に生きていたプランクトンの殻が深い海の底でゆっくり降り積もって作られていったものだったり、太古の海洋島のサンゴ礁で生きていたサンゴの骨格が固まって岩石になったもの(石灰岩)であったりします。キトウシキャンプ場の大地のドラマに私はロマンを感じます。

参考文献

*1) 日本地質学会 日本地方地質誌 北海道地方
*2) 高木秀康 地形・地質で読み解く 日本列島5億年史 宝島社
*3) 小出良幸 札幌学院大学人文学会紀要(2016)第99号 17-39 深海底堆積物と層状チャートの成因について
*4) E.サイボルト, W.H.バーガー 海洋地質学入門
*5) Web資料:少し専門外のチャート(chert)のこと、地質学と地震と化石(ついでにハチミツ殺人事件) *6) 小出良幸 島弧−海溝系における付加体の地質学的位置づけと構成について 札幌学院大学人文学会紀要 第92号