マニキュアはカバーガラスになれるか ~対物レンズのカバーガラス厚設定~

本記事作成日:2026.01.18

 岩石薄片を作るとき、本来なら「カバーガラス」を被せて標本を保護し、光学的にも安定させます。しかし、後の分析(X線分析など)を見越して、あえてカバーガラスを貼らずに「マニキュアのトップコート」で表面を平滑化して済ませる手法があります。マニキュアは乾けばカチカチになり、除光液ですぐに落とせる。便利な裏技です。

しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。

「マニキュアを塗っただけの薄片、どの対物レンズで見るのが一番クッキリ見えるんだろう?」

 顕微鏡の対物レンズには「0.17」や「0」といった数字が刻まれています。これはレンズが想定しているカバーガラスの厚み。これは、わずか0.17mmの差を巡る実験の記録です。

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 岩石薄片は、理想的には鏡面反射するくらいまで磨き上げるのがよく、そうすると、カバーガラスをかけて平滑化する必要がなくなると共に、反射光による観察やX線分析ができるようになります。そのため、あえてカバーガラスをかけず、あとあとの分析のため、マニキュアをかけておくことをします。ですが、鏡面反射するまで精度良く磨き上げるには、手間と時間はもとより、技術や設備が必要となりますので、顕微鏡による肉眼観察レベルまででは、磨きを抑えてマニキュアを塗って表面を平滑化するところで止めることをします。
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顕微鏡レンズが持つ「こだわり」:カバーガラス厚指定

 顕微鏡の対物レンズの側面を見てみると、「160/0.17」や「160/0」といった数字が並んでいます。

「0.17」: 0.17mmの厚さのガラス越しに見たとき、最高のパフォーマンスを発揮する設計
「0」: ガラスが一切ない状態(裸のサンプル)を前提とした設計。金属顕微鏡などに多いタイプ
「-」: 低倍率によくある「どっちでもいいよ」という寛容な設計

 高倍率(40倍以上)になればなるほど、この「わずかなガラスの厚み」による光の屈折が、ピントのキレ味に致命的な影響を与えます。無視して使うと、どんなに高級なレンズでも「なんだかモヤッとする像」しか見せてくれません。


マニキュアの層は光学的にどのようなものか


 マニキュアを塗った状態は、光学的にどう定義されるのでしょうか?

・厚さ: 1回塗りで約0.01〜0.03mm程度
・屈折率: 約1.5。これはカナダバルサム(1.515前後)やガラス(1.52)に非常に近い数値

 マニキュアを塗った標本は「極めて薄いカバーガラスがかかった状態」と言えます。 標準の0.17mmには遠く及びませんが、0(裸)でもない。この絶妙な隙間を、実験で確かめてみました。


実験機材

 対物レンズに記載されているカバーガラス厚の数値がどのくらいだと、マニミュアを塗った岩石薄片がクッキリ綺麗に見えるのだろうか。これを確かめるため、同系統の対物レンズで、カバーガラスの厚み指定をいくつか変えて観察してみました。低倍率のレンズでは影響がわかりにくいので、岩石薄片観察でよく使う40倍の対物レンズで試しました。岩石薄片は、マニキュアのトップコートを1回塗布したものを使います。

機材
 50年前の名機「ニコン POH 13型」を使用しました。内蔵ランプは高演色LEDに換装済み。レンズが捉えた情報を精度良く記録するため、高画質の撮影レンズ「NY1S」をフルサイズ一眼カメラ(EOS RP)に装着し、写真鏡筒にセットしています。
・使用した対物レンズ(全てニコン製 40倍)
 Fluor 40 (160/0) : カバーガラスなし専用
 Fluor 40 (160/0.11-0.23) : リングを回してカバーガラス厚を調整できる特殊なレンズ
 ※カバーガラス厚:0.11mm〜0.23mmで可変


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・対物レンズの機械鏡筒長
 自宅にある50年前のRMS規格のニコンS型系統の顕微鏡を用いるため、機械的鏡筒長160mmのものとしました。鏡筒長を合わせないと設計通りの収差補正がなされないためです。
・カバーガラス厚調整ができる対物レンズの使用
 カバーガラス厚を調整できる対物レンズを比較的安価で用意できました。カバーガラス厚の異なるレンズを個別で揃えるのは現実的ではないので。
・高解像度の撮影機材を使用
 Fluorレンズは蛍石(Fluorite)を使用した対物レンズです。蛍石は極めて分散が低く、収差の少ないクリアな像を得ることができます。蛍石レンズが捉えた高解像度の像を撮影するため、自宅にある機材の中では最もコントラストを高く観察できる顕微鏡(ニコンPOH 13型)の写真鏡筒に、フルサイズ一眼カメラにNY1Sを装着したものをセットして撮影しました。
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実験方法

 ニコンPOHのレボルバーに、以下の順番で対物レンズをセットし、クロスニコル状態で、対物レンズの調整リングを回してカバーガラスの厚みの設定を行い、最もクッキリ見えピントが合うポイントを探ります。そして、写真撮影します。

1.Fluor40 160/0をセット
2.Fluor40 160/0.11-0.23をセット
 0.11を超えマイナス側限界に設定(0.09mm程度)
 0.11に設定
 0.14に設定
 0.17に設定
 0.20に設定
 0.23に設定
 0.23超えプラス側限界に設定(0.25mm程度)

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・クロスニコル状態
 岩石薄片はクロスニコルで観察します。内部構造がよく見え、色が付いて見えるので、収差やピントの影響が見やすいです。
・ピント調整
 対物レンズのカバーガラス厚設定を変えると、ピントの位置がズレ、収差の状態が変わります。カバーガラス厚を変更したら、顕微鏡のステージ上下微動ダイヤルで「鉱物の輪郭が最もクッキリ見え、色ズレの収差が最も低く見える位置」に合わせた上で撮影しました。
・観察部位
 光を通さず真っ黒に見える磁鉄鉱に、微細な針状結晶の蛇紋石が成長しているところにしました。コントラストが高い部分の方が影響が確認しやすいと思いました。
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実験結果 撮影画像

カバーガラス厚 0mm(カバーガラスなし)

・対物レンズ:ニコン Fluor 40 160/0

カバーガラス厚 0.11mm−α〜0.23mm+α

 Fluor40 160/0.11-0.23は、カバーガラスの厚みが調整できるレンズです。リングを回すことで、0.11mmから0.23mmまで変えることができます。実際には、リングは0.11mmよりも少しマイナス側に回るため、目一杯マイナス側に回すと、目分量でおそらく0.09mm程度、逆に0.23mmよりも少しプラス側にも回り、目一杯プラス側に回すと、目分量で0.25mmの設定になると思います。


対物レンズ:ニコン Fluor 40 160/0.11mm-0.23mm、0.09mmくらいに設定

対物レンズ:ニコン Fluor 40 160/0.11mm-0.23mm、0.11mmに設定

対物レンズ:ニコン Fluor 40 160/0.11mm-0.23mm、0.14mmに設定

対物レンズ:ニコン Fluor 40 160/0.11mm-0.23mm、0.17mmに設定

対物レンズ:ニコン Fluor 40 160/0.11mm-0.23mm、0.20mmに設定

対物レンズ:ニコン Fluor 40 160/0.11mm-0.23mm、0.23mmに設定

対物レンズ:ニコン Fluor 40 160/0.11mm-0.23mm、0.25mmくらいに設定


 上の写真は全体を見るために縮小していますが、以下は、部分的にあまり縮小しない状態のものを載せます。EOS RPは高解像度で撮影されるため、結構詳細に写ります。上の写真と比べ10倍程度拡大したのと同等です。

・対物レンズ:ニコン Fluor 40 160/0

対物レンズ:ニコン Fluor 40 160/0.11mm-0.23mm、0.09mmくらいに設定

対物レンズ:ニコン Fluor 40 160/0.11mm-0.23mm、0.11mmに設定

対物レンズ:ニコン Fluor 40 160/0.11mm-0.23mm、0.14mmに設定

対物レンズ:ニコン Fluor 40 160/0.11mm-0.23mm、0.17mmに設定

対物レンズ:ニコン Fluor 40 160/0.11mm-0.23mm、0.20mmに設定

対物レンズ:ニコン Fluor 40 160/0.11mm-0.23mm、0.23mmに設定

対物レンズ:ニコン Fluor 40 160/0.11mm-0.23mm、0.25mmくらいに設定



わかったこと キレ味の差は歴然だった


結果は明確でした。

「160/0(カバーガラスなし)」の設定が、最もクッキリとディテールを映し出した

 カバーガラスなし前提のレンズが最もクッキリし、ディテールが細かく見えます。カバーガラス厚の設定を厚くしていくと、徐々にぼやけていきます。球面収差や色収差が大きくなっていっているように思えます。具体的には以下のような現象が発生します。
・全体に白い霞(かすみ)がかかったようなコントラストの低下
・鉱物の輪郭が二重に見え始め、どんなに微動ダイヤルを回しても「芯」が合わない
・輪郭に青っぽい色ズレ(色収差)が目立ってくる

 マニキュアの種類や塗り方、揮発の度合い(揮発すると粘性が増す)により厚みや屈折率が微妙に異なると思えますが、何度も重ね塗りして厚くしない限り、カバーガラスなし前提のレンズで観察するのが無難に思えます。

注意点
・紫外線で固結するUVタイプのマニキュアトップコートは厚くなるため、また、固結後に除光液で落とせないため、私としてはお薦めしないです。
・対物レンズの状態(特に、保証がないジャンク品は、状態がピンキリ)にも左右されると思えます。


結論 マニキュアは「カバーガラスなし」として扱う


 今回の実験から分かったことはシンプルです。

マニキュアを1回塗った程度の岩石薄片は、光学的には「カバーガラスなし(0)」として扱うのが正解

 マニキュアを塗ることで表面の凸凹による乱反射は抑えられますが、厚みとしては0.17mmには程遠いため、金属用レンズ(160/0)や、厚み指定のない低倍率レンズで観察すると、最もポテンシャルを引き出せます。

ちょっとした注意点:

UVタイプは避ける: 最近のUVレジン系トップコートは厚塗りになりやすく、しかも除光液で落ちないため、後の分析を考えるとお勧めしません。

レンズの状態: 古いジャンクレンズの場合、レンズ内部の曇りなどが結果を左右することもありますが、今回は「設計通りの挙動」を確認できました。

 たかがマニキュア、されど光学。 50年前の顕微鏡を自分好みにオーバーホールし、現代のカメラでその性能を限界まで引き出す。この「道具を使いこなす楽しさ」こそが、顕微鏡趣味の醍醐味かもしれません。